夏への扉

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

【あらすじ】

ぼくが飼っている猫のピートは、冬になるときまって夏への扉を探しはじめる。家にたくさんあるドアのどれかが夏に通じていると信じているのだ。そしてこのぼくもまた、ピートと同じように“夏への扉”を探していた―『アルジャーノンに花束を』の小尾芙佐による新しい翻訳で贈る、永遠の青春小説。

とても面白かった。高校生ぐらいの時に読みたかった。
愛すべき小説。愛すべきキャラクター。

あらすじにも書いてありますが、背表紙のあらすじ紹介の文章
“ぼくが飼っている猫のピートは、冬になるときまって夏への扉を探しはじめる。家にたくさんあるドアのどれかが夏に通じていると信じているのだ。そしてこのぼくもまた、ピートと同じように“夏への扉”を探していた。”
が秀逸

“世の中には、いたずらに過去を懐かしがるスノッブどもが居る。そんな連中は、釘ひとつ打てないし、計算尺ひとつ使えない。ぼくは、できれば、連中を、トウィッチェル博士のタイムマシンのテスト台にほうりこんで、十二世紀あたりへぶっとばしてやるといいと思う。”

テーマだとかそんなものは考えず、愛すべきエンターテイメント小説として読めば良いのだけど、この本には、未来への希望がテーマとして込められている。

1956年に発表したSF小説とは思えない。しかし流石に夏の扉が書かれたこの時点では、インターネットの時代の到来を予期することはできなかったようだ。もしロバート・A・ハインラインが生きていて、現代版夏への扉が書かれたならどんなものになったんだろうなと空想せずにはいられない。


洋書の目次とかの次のページによくある〜にこの本を捧げるみたいな文章僕好き。