志村正彦展

12月23日、24日に富士吉田市で行われた志村正彦展に行って来ました。僕は24日に行きました。奇しくも亡くなられた日です。

(看板に反射してオレンジの変な人が写ってるのはスルーして下さい)

この展示会は志村さんの同級生の方たちが企画してやっているものだそうで、様々な志村さんの私物が展示されていました。
朝11時前ぐらいかな?についたのですが40〜50分ほど並びました。12時頃に行ったら2時間待ちぐらいにはなっていたと思います。

実は僕がフジファブリックというバンドをちゃんと聞いたのは志村さんが亡くなられてからです。彼女がフジファブリックを好きで、丁度去年の12月頃聞いていたのを聞いて僕もいいなと思うようになり、聞くようになりました。
聞き始めてすぐに才能を感じまた。変態的な歌詞、時に綺麗でもあり、ヘンテコでもあるメロディ、独特の歌声、すべてが良かったです。それからとても好きになりこの一年間かなり聞きました。一年で僕のlastfmの再生回数6位にまでなるぐらい聞きました。聞けば聞くほど面白くて好きになりました。
もっと昔から知っていればなあと思ってしまいます。

そんな経歴もあり、僕は志村さんがどのような方だったかまるで知りません。
その上で、志村正彦展の感想を述べると、かなり変わった方で周りの人達から愛されていたのだろうなあと感じました。

会場ではフジファブリックの曲がかかり続けていました。
展示には、歌詞を書いた紙(なかなか字が下手でした笑)や楽器、着ていた服やライブの写真などが飾られていました。同級生の方が志村さんについて適当に語ったラジオも流れてました笑
虹の「遠く彼方へ鳴らしてみたい〜回る世界が笑う」のところの歌詞がはじめの段階では「胸おどらせて 鳴らしてみたい〜あきれる君が 笑う」という歌詞だったこととかわかりました。
志村さんの卒業写真と小中高時代の写真もあったのですが、陽炎の「となりののっぽ」と言われている人も写ってたりしました。
驚くことに富士吉田の中学では、音楽の授業で若者のすべて、陽炎、赤黄色の金木犀、茜色の夕陽を取り上げるようで生徒たちの意見なども飾られていましたし、ファンからの志村さんへの手紙なども飾られていました。

主催の同級生の方も、とても丁寧な人達ばかりで皆さんが志村さんの事を思っているのがよくわかって、僕は微笑ましくなり、終始薄ら笑いを浮かべていてたいそう気持ち悪かったことだろうと思います。
死んでしまってもこうやって覚えていてもらえたら幸せだろうと思います。しかし、やっぱりフジファブリックの独特の変態性というのは志村さんありきだったと思うので残念だなって思ってなんとなく感傷的な気分になりました。